土浦亀城邸
※2020年3月 継承されました
所在: 東京都
竣工: 1961年
構造: 木造平屋建て
設計: 篠原一男
施工: 渡邊建設事務所
家具設計: 白石勝彦、篠原一男
協力: 朝倉摂
延床面積: 55.4㎡(約16.8坪)
※竣工当時(納戸含む/増築部分含まず)
敷地面積: 204.99㎡(約62.1坪)
竣工時の用途 : 住宅

東京の西郊台地にこの家はたっている。家族構成は若い夫婦と幼児ひとり、59年秋から60年夏にかけて設計、60年11月着工、61年3月竣工、その後1年半かかってようやくほとんどの家具が完成した。 今までの仕事のなかでもっとも小さなこの家(55㎡)は、今までのもっとも大きな住宅、前作茅ケ崎の家(240㎡)とまったく平行して進められてきたのである。大きな家と小さな家との間に不連続な方法をつくるべきではないという私の主張(『新建築』61年1月号「生活空間の新しい視点を求めて」)は多くの反響をうけとることができた。大変完成が遅れたが、この小さな家はこの問題提起の一部分を構成しているものと考えて頂きたい。しかし、このから傘の家はその後にまとめられた2,3の論文(『新建築』62年5月号「住宅は芸術である」、『デザイン』62年8月号「様式がつくられるとき」等)の主張とも直観的なかかわり合いをもっている。今日の社会的状況の中で、私たちの住宅設計のためのエネルギーを単なる<個>に埋没させることなく、いかにして一般化し、社会化しうるかという問題に真正面から取組む必要を感じさせたのもこの小さな家の仕事が大きな作用をもっていたように思える。

  • 正方形の平面、方形の屋根は前々作、狛江の家(『新建築』60年4月号)のテーマのひとつであったが、ここでは単純化と明確化がすすめられた狛江の家において対角線の方向にかけられた2本の大きな合成梁は、ここでは方形の頂点から、から傘のように拡がる合掌材のひとつひとつに力が分散されている。頂点ではアングルと平鋼でつくられた枠に、そして、下端近くでは、正方形を形づくる周辺の米松材の桁の上に1本1本ボルトで縫いとめられる。桁材の位置の変形を防ぐために、東西と南北直交して走る、2組の合わせ梁がある。このうち、東西にわたされたものは北側のたたみの室と浴室の上の納戸を作るための梁の役目も同時に果たすことになる。そしてなほ、小屋組の水平面での変形を防ぐために、納戸の床のなかに大きく張られた平鋼の水平筋違いがある。正方形を南北と東西、それぞれ4対3の比に分割する位置に、さきにのべた、直交する合わせ梁が走っているのであるが、この比率はそのまま外観における壁と開口部との比率となっている。そして、南側に作られた広間に面して、寝室と浴室部分とが単純な比(5対2)に仕切られて配置されるとこの平面は完成する。

    から傘の家

    幾何学的なかたちをもった、高い天井が覆う空間のなかに、この拡がりをできるだけ視野のうちにあらわしながら、しかも、寝室などの分離された空間をつくりたいという考えがこの構成となった。正方形の3/7を占める納戸は十分な居住性はもたないが、この小さな家の緩衝空間となっている。広間の開口部は南側にあるが、この敷居は北側にあるたたみの室の床と同レベルになっているから、広間の床は低いくぼみのようにかげをもつことになった。これは高くそしてかげの深い天井の架構に対応している。古い民家がもつ<土間>の意味をこの広間の空間にあたえようというのはテーマのひとつでもあった。日本の民家の平面は田の字型だといわれているが、かつて私はそれよりもっと単純な形式が原型ではないかという意見を発表したことがある。(日本建築学会論文報告集60年10月「空間分割からみた平面構成」)その単純な形式という1室空間が2分され、次の段階でその一方がまた2つに分割された形式、すなわち形の上ではこの家の平面のような分割が原型ではないかというのが論理的な追跡の結果であった。私はこのもっとも原則的な平面構成を意識しながら、少量だが明確な光とふかぶかと濃いかげの組立てる空間、それは古い民家の土間にあったもの、をつくってみたいと考えた。

    から傘の家

    ふすまがひかれて寝室が閉ざされると5つの絵が広間に向かって並ぶ。30㎝角の金地の上に墨とさび朱で画かれた朝倉摂さんの絵はインテリア・デザインに直接参加している。しかし、このような小住宅で画家が直接住宅にデザインに参加することを一般化しようと考えているわけではない。 <住宅は芸術である> という私の主張と、このような芸術家との協同の問題とを単純に結びつけないでいただきたい。極端にまで <工業的> な手法によって設計されていてもひとつずつ設計される住宅の現代社会における存在理由は <芸術> になることだというのが小論の内容であって、この小さな家における協同はあくまで画家と建築家との創作上の問題に焦点を合わしているのである。もし、一般的な問題を引出すとすれば、このふすま絵はシルクスクリーン・プロセスかあるいは版画による印刷によって一般化が可能であり、ふすまや壁のデザインに新しい手法をひとつ加えうると私たちは考えている。

    家具デザイナーとの協同も、実は、同じような問題を含んでいるはずである。この小さな家のためにひとつひとつの家具が設計されるということは、キャビネットはともかく椅子などについては考えてみればおかしなことだ。しかし、私たちが自由に使えるこの国のデザインの <単語>がまだきわめて少ないということがこのような苦しい仕事を続けさせている原因なのである。しかし、もっと容易な方法で私たちのインテリアデザインをつくりだせる時はそんなに遠くはないと思っている。長い時間をかけこの家が完成したときには外観が全く撮影できないほど周囲に住宅が建てこんだ。谷川さんの家のときでも、狛江の家のときでも、もっと広々とした地表の上に置きたいものだといつも思っていた。しかし、特定の敷地の条件からも、特定の施主の条件からも、自由なあるシステムの上で仕事をしたいと考えている私にとって今のところそれは本質的な問題ではない。住宅設計における、この2つの条件を正しく整理できれば住宅のプロトタイプをいくつもつくることができるだろうと考えているからである。

    (篠原一男 「から傘の家」 『新建築』 1962年10月号より)