所在: | 東京都世田谷区 |
竣工: | 1971年 |
構造: |
[住居]RC造、一部木造、地下1階・地上1階建 [車庫]RC造、地下1階建 |
設計: | 宮脇檀 |
施工: | 富田工務店 |
建築面積: | 84.87㎡(約26坪) |
延床面積: |
122.26㎡(約37坪) 車庫:19.29㎡(約6坪) |
敷地面積: | 173.15㎡(約52坪) |
竣工時外観(車庫壁画:山下勇三/グラフィックデザイナー)
ブルーボックスハウスは、1964年東京オリンピックの一連のポスター(亀倉雄策と共同製作)で知られる写真家・早崎治(1933〜1993)の自宅として、1971年に宮脇檀が設計し、その後3代のオーナーによって住み継がれてきている。
世田谷区上野毛は、立川から大田区まで続く国分寺崖線が南北方向に走る地域である。ブルーボックスハウスの敷地は、その崖を含む西向きの急斜面地で、建物はこの崖に半分埋め込まれたような形態を取っている。
設計者は「彼(施主)がこの多摩川に面した崖地を探し出してきた。2人で崖に登ったり、下から仰いだりの結果すっかり気に入って買うことにした」と述べており(『新建築』1973年10月)、既存の建物はなかったと考えられる。
宮脇檀は、以下の通り、この敷地の制限下において最大のヴォリュームを確保するため、主階を地下室として扱うように断面計画をしたと述べている(地下室は床面積算定の対象外のため)。
「緑に恵まれた良い環境の例にもれず、空地の指定があり16坪しか建てられない。(中略)例によって地下室を居室化することによってこれを補うという方法以外になかった。強い傾斜地であるのを利用して標準地盤面を斜面の中央に設定し、それより下部の部分を地下室と算定することにより合法的に居室面積を増やすことにした結果、寝室とその中庭を除くすべての居室は地下にあるという階層配分になった。」(宮脇檀「プライマリィアーキテクチュアとしてのブルーボックスハウス」『新建築』1973年10月、p.192)
設計図を見ると、具体的には、前面道路から主階(地階)までの高さを6.65m、前面道路から平均地盤面までの高さを7.5mとし、その差0.85mを主階(地階)の天井高2.4mの1/3以上とすることで、主階を地下室として扱うことを可能にしている。ただし、そのためか建物配置は当初スケッチよりも前面道路から奥まった位置に変更されている。
構造的には、上階(1階)の前方(西側)がキャンチレバー状態になるため、屋根と上階の間仕切りなどを木造とし、全体に軽量化を図っている。軽量化の工夫はまた、地階南西部の開口部におけるヴォリュームの欠き取り、既存樹木保護のためと説明される1階テラス床の円形開口部にも共通して見ることができる。
地階の間取りは、居間と食堂が間仕切りなく連続している。開口部は西側のガラス窓のみであるが、食堂横のガラス張りの階段室が1階テラスから日中の光を取り入れる「ライトウェル」の役割を果たしており、半地下で閉鎖的な箱形住居でありながら室内に十分な明るさをもたらす空間構成となっている。また、居間西北隅の突出部には円形に床を掘り下げた「ラウンジピット」が設けられているが、これは掘り炬燵のような居心地の良さを生むとともに、家具などを置きにくくすることで突出部の荷重軽減にも寄与していると考えられる。
外形には、設計者が「プライマリー・ボックス」と呼ぶ、閉鎖的な箱状の形態が採用された。これは1960年代まで主流であったモダニズム建築の造形規範を乗り越えるため、当時、設計者が別の作品でも展開していたスタイルであり、この建築家の作家活動の連続性を理解する上で、貴重な現存事例といえる。外壁の塗装については、当時の担当者で2020年に再塗装を監修した椎名英三氏の記憶では、当初から南側面と西正面が青色、北側面のみ緑色で塗装されていたとのことである。ちなみに、「設計図では西正面が「青」、南北側面は「緑」と指定されており、施工段階で南側面も現在のように青色に変更されたと考えられる。この変更と「ブルーボックスハウス」との呼称が生まれた時期との前後関係については不明である。
東京科学大学博物館・教授 山﨑鯛介
撮影:[写真左]所有者[写真右上段下段]山﨑鯛介
1971年に建築家の宮脇檀「ボックスシリーズ」の代表作となるブルーボックスハウスが誕生しました。
この名建築との出会いは偶然でした。もともと近所のマンションに住んでおり、散歩がてらにオープンハウスとなっていたブルーボックスハウスを見に来たのです。
実はその頃は宮脇先生の事を存じておらず、国分寺崖線の斜面に青いボックスが突き刺さった外観には大きな衝撃を受けました。そして室内に入ると外観のモダンさと対比されて不思議と温かみのある落ち着いた空間が拡がっていて、この建物に対する建築家の意図を感じました。
その日の一目惚れで購入を決意することになり、私たち夫婦は2012年から四代目オーナーとしてブルーボックスハウスで暮らすことになります。
その後は住むほどに愛着が沸いてきて宮脇先生の作品集や書籍の収集に没頭しました。そういった中で宮脇先生の「かっこよければ、すべてよし」という私も大好きな名言、そして住宅設計や家族との暮らしに対する考え方に触れて深く共感をすることになります。今ではよく晴れた朝にリビング正面に臨む富士山と国分寺崖線に棲む小鳥たちの囀りに癒されながら寛ぐ時間が最高の贅沢になっています。
大変ありがたい事にブルーボックスハウスを介して多くの方々との出会いがあり、以前には宮脇先生のお嬢様である作家の宮脇彩先生にもご来訪いただきました。また宮脇先生と共に当時ブルーボックスハウスの設計に携わった元・宮脇檀建築研究室の椎名英三先生にご支援いただきまして2020年には外壁を建築当時の鮮やかなブルーとグリーンへと蘇らせることが出来ました。そして2023年には、宮脇檀建築研究室のOBOGの皆様はじめ、山﨑鯛介先生と住宅遺産トラストのお力添えで登録有形文化財となりました。
今まで本当に多くの皆様に支えられて愛され続けているブルーボックスハウスを是非後世にも引き継いでいければと心より願っております。
撮影:山﨑鯛介
出典:(有)宮脇檀建築研究室
出典:(有)宮脇檀建築研究室