数江邸
現在の用途 : 住宅
所在: 東京都大田区
竣工: 1939年(昭和14年)
構造: 木造平屋一部2階建、地下室付き。庭に茶室「香積庵」を擁する
設計: 松ノ井覚治(ヴォーリズ建築事務所)
施工: 相川工務店
延床面積: 405.99㎡(約122.81坪)
敷地面積: 1201.06㎡(約363.96坪)

数江家住宅は、昭和14年(1939年)に大田区久が原に建てられた木造平屋一部2階建て地下室付きの住宅で、外観はスバニッシュ風ですが、内部は本格的な数寄屋風意匠を備えた和洋折衷住宅です。建築時の施主は実業家の亀井武夫という方で、亀井夫人が茶の湯を嗜むことから茶室を中心とし本格的な茶事のできる住宅として建てられましたが、何らかの理由で手放さざるをえなくなり、2年後の昭和16年(1941年)に数江雄二氏に譲渡されました。昭和23年に数江家に婿養子に入られ当主となられた数江教一氏は、日本倫理思想史を専攻する文学博士で、『わび –侘茶の系譜-』(塙書房)の著作もあり「瓢鮎子(ひょうねんし)」という号をもつ数寄者として知られる方です。

設計はヴォ-リズ建築事務所の東京支店長であった松ノ井覚治です。明治29年(1896年)、山形県の生まれ、大正7年(1918年)に早稲田大学理工学部建築学科を卒業、同期の村野藤吾とは生涯にわたる交友関係にありました。卒業後に渡米、近江セ-ルズ(株)のニュ-ヨ-ク出張所の所長の家に寄宿しながらコロンビア大学の夜間コ-スで建築意匠を3年間学んでいます。ヴォ-リズ建築事務所のニュ-ヨ-ク支店やモレル・スミス建築事務所において活躍し、昭和4年(1929年)には86階建ての「バンク・オブ・マンハッタンビル」の主任技師として設計に携わっています。昭和12年(1937年)に帰国して翌年にはヴォ-リズ建築事務所の東京支店長となっていますので、数江家住宅は帰国後すぐに手掛けた住宅作品ということになります。昭和25年(1950年)に独立し松ノ井建築設計事務所を開設し住宅・教育施設・キリスト教会等を中心に滞米時に身につけたスパニッシュ様式の建物を数多く設計しています。建築分野での日米交流史を知る上でも希少な存在といえます。

数江家住宅の建築的特徴のひとつはスパニッシュ風と数寄屋造との融合が図られていること、もうひとつは本格的な茶事が行える茶の湯空間と日常生活空間との関連が巧みに計画されているという点です。スパニッシュ風の特徴が最も良く表れているのは道路に面した西側の外観です。道路と敷地との間には1.5m近い段差がありますが、石畳と石組みと階段による立体的な構成によって主玄関と内玄関とを巧みに分離しています。また波形模様の入った壁は大きな2連のア-チが開けられたスパニッシュ風ですが、その腰部分に鉄平石の小口積みを水平に張ることで和風の味わいが添えられています。
数江家住宅は平屋建ての「玄関・茶室棟」と2階建ての「居室棟」から構成されています。玄関ホ-ルは洋風と数寄屋が混ぜ合わされた和洋折衷空間で、玄関脇の洋風応接室は細身の吉野丸太を柱と廻縁と天井の棹に用いたモダンな造りで縦長の洋風窓には障子が使われるなど、随所に巧みな和洋折衷の手法が試みられています。

応接室の西側にはツツジの床柱をもつ寄付(3畳)があり、その奥には那智黒と青石を敷きつめた寄付土間(6畳)が続いています。この寄付土間の北側が「無一物」と呼ばれる茶室部分で、水屋の隣の畳4枚を併せた席になります。7畳席(啐啄齋)と水屋(1畳)に4畳(鞘の間)が矩折りに配されています。

玄関と居室とを結ぶ動線として東西に並行して走る2本の廊下があり、「玄関・茶室棟」と「居室棟」とを分節する役割を果たしています。南側の廊下は接客用で、「玄関・茶室棟」と「居室棟」を結びつけ広縁へとつながります。一方、北側の廊下は家族用で、居室と食堂、台所、風呂、トイレ等の様々な生活空間を連結し2階へのアブロ-チにつながっています。居室棟は平書院付の床の間がある居間(10畳)と水屋と平書院をもつ茶の間(8畳)からなり、北側には塗籠形式の納戸があります。茶の間や居間でも茶事を行うことが可能で、すべての座敷で茶事を行うことが想定されています。

居室棟の北東角には令嬢室(後に仏間)、北側には食堂と台所、女中室(2室)、化粧室、風呂、便所、内玄関が雁行形に配されています。明るく上りやすい階段室や数寄屋風意匠の便所や化粧室などサ-ビス部分にも丁寧な仕事が施されています。2階には令息室(2人用)と令息寝室(2人用)と子供娯楽室が並び、階段脇には写真用の暗室なども設置されています。

改造の経歴としては、2人用の令息室が1室に変更され、台所と食堂も改装、戦時中には地下の一部に防空壕を設置する改造がなされていますが、その他は竣工時の姿をそのまま伝えています。昭和55年(1980年)頃には数江教一氏によって敷地の南側に茶室「香積庵(きょうせきあん)」を中心とした露地が造られました。露地には外腰掛、雪隠、梅見門、内待合が備えられ、十分な広さの水屋をもつことから、本格的な茶事のできる茶室であり、将来的に文化財的価値を持つ可能性が高いと考えられます。

数江家住宅の建つ地域は大田区の典型的な郊外住宅地である久が原の台地の高台で、昭和戦前期に形成された区画整理による整然とした街並みが良く残されています。設計者は日米両国で活動した建築家松ノ井覚治であり、洋風と和風、スパニッシュと数寄屋とを巧みに融合した意匠を試みています。戦時色が色濃くなり始めた時期にもかかわらず良質の材料が選ばれ、優れた職人技術によって造られた数寄屋普請でもあり、大きな改造がなく建築当初の姿を残す貴重な和洋折衷住宅です。

大川三雄(建築史家・大田区文化財審議委員会委員)