G邸
※2021年 7月継承されました
G邸
所在: 川崎市高津区
竣工: 1965年(昭和40年)
構造: RC+W 3階建
設計: 浜口ミホ
施工: 白岩工務所
敷地面積: 309.41㎡
床面積: 241.6㎡(バルコニー含む)
竣工時の用途 : 住宅


「この家は、エベレスト山系のコーカサスにも行った父が山小屋イメージで浜口さんに設計を依頼したものです。東西南北に配置された大きな木枠の窓ガラスと道路に面したコンクリートのベランダ、吹き抜けになった家族が集える広い居間が特徴でしょうか。」

(施主長女)


G邸(旧中村邸)の存在は、稀にみる発見だった。この住宅は日本の近代建築の先駆者である浜口ミホ(1915-1988)が建築家としての最盛期を迎える、1965年に竣工する。浜口ミホは、戦後の台所改革に影響を与えた著書で知られるが、彼女の功績はそれだけに止まらない。浜口が残した遺産は、空間構成における民主的な考えを具現化した大胆な住宅建築だ。G邸は、浜口が手がけた1000戸以上に及ぶ住宅の中で、55年の歳月を経た今も建設当時のままに現存する唯一の住宅だ。時の試練を乗り越えられたのは、細部にまでこだわった設計と、3世代にわたる中村家が大切に住み継いできた所以だろう。

個性的な建築家、浜口ミホ

G邸浜口ミホは34歳の若さで「日本住宅の封建性」(1949年)という画期的な著書を発表し、建築界に新風を吹き込んだ。この著書で浜口は、住む人の生活に焦点を置いた住宅計画を提唱し、これまでの住宅の封建的な家父長制や格式主義を歴史から解き明かした。浜口は男女や階級の差のない平等な社会を求め、住宅設計を通して、このような社会実現を目指した。彼女の革新的な視点に注目した日本住宅公団は、ダイニング・キッチンの実現に浜口の協力を求めた。浜口は公団住宅の最大の魅力であった、ステンレス流し台の導入に成功した。
裕福な濱田家の長女として、中国の大連で生まれた浜口ミホは日本に渡った後、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)で家政学を学んだ。その後、女子学生の入学が認められていなかった東京帝国大学の建築学科の聴講生として授業に参加した。そして、1954年に日本で女性初の一級建築士資格を取得し、東京の青山に建築事務所を開設した。

G邸を設計した当時、浜口は10人のスタッフを抱え、プロジェクト毎に、担当のスタッフ一人と向き合って仕事をしていた。G邸の設計に携わった建築家、印牧善雄氏は「浜口さんは僕たちの図面を何度も描き直して、浜口色に改良していた」と振り返る。
ファサードから張り出した、打ちっ放しコンクリートの曲線を描いたバルコニー、正方形のプロポーションをした窓割り、リビングとバスルームのタイルの素材感、印象的な吹き抜け空間からは、師匠、前川國男の影響が垣間見られる。

中村家と山のイメージ

会社員であり登山愛好家でもある施主、中村氏の姉が浜口ミホの旧知で、設計が浜口に依頼された。竣工時は、祖父母、両親、そして幼い娘2人、という家族構成だった。興味深い事に、浜口は当初から、家族のニーズに合わせて家が成長することを考えていた。3階は当初、若夫婦と子供2人の居室とテラスのみだったが、娘たちの成長に合わせて、折り紙状の天井を持つ部屋が、既存と一体化するように増築された。晴れた日には、丹沢山地と富士山が、広々としたベランダから見渡せ、切妻の屋根は、丘の上に立つアルピニズムを連想させ、郊外住宅には珍しい遊び心が伺える。

浜口は施主の希望した山小屋風な住宅と、モダニズムを見事に融合させた。落ち着いた色調の木造階段は、円柱型の細い鉄製の手摺りにより支えられ、オフホワイトに塗られたそれと、光沢のある青緑の四角いタイルとの対比が象徴的だ。この特注タイルは、水回りのモザイクタイルと同様、一つずつ職人の手によってはめ込まれ、G邸ならではの特徴となっている。階段は、室内に設けられたバルコニーと共に、吹き抜けのリビングルームを見下ろす見晴台となる。施主長女は、この立派な階段は子供たちのジャングルジムになる、と父が冗談を言っていたと懐古する。

G邸

細部までこだわったデザイン

浜口の才覚は、土地選びから始まる。中村氏は住宅地として開発されて間もない多摩川沿いの丘陵地に土地の購入を検討した。浜口はすでに住宅のスケッチを始めていたが、自ら地質を調べ、それに満足せず、より地盤の安定した現在の敷地へ変更を決した。コンクリート構造のピロティに、車2台分のカーポートを確保し、住宅部分を路面から浮かせたモダニズム的なアプローチは、セットバックした明るい玄関ホールで完結する。上品なしつらえの玄関ホールは、訪問客を受け入れる応接間にもなる。

やや低めの玄関ホールから階段を上ると、色と光に溢れた吹き抜けのリビングルームが広がる。部屋の中央には当初と同じ位置に、現在はシャンデリアが吊られる。室内は木、タイル、スタッコなどの質感のある素材が組み合わされ、快適な空間を創出する。この部屋の窓には風圧により自動的に開閉するクロスベンチレーションが取り入れられ、既に室内環境に対する配慮がされていた。熟考された動線計画で、無駄なスペースは一切無い。特に、ダイニング・キッチンは、リビングルーム、老夫婦のベッドルーム、バスルームをつなぐ、中心かつ重要な空間だ。浜口がデザインした当初のままに残るキッチンは、2つのシンクと大きな調理台から構成され、食材を洗い、調理し、食卓に出すまでの一連の流れがスムーズに行える。これは浜口が得意とするところだった。ダイニング・キッチンの壁に綺麗に納められた扉の奥は水回り、勝手口へとつながる。かつてはここから酒屋や米屋が、酒や米を配達し、都市空間と冷蔵庫を直接つないでいた。

G邸は、どの部屋にいても隅々まで自然光が差し込む。特徴的な深い庇は日本の気候を考慮して計画され、縦方向に貼られた木の外壁を保護する役割も果たしている。道路からは、美しい曲線を描くバルコニーの中央に設けられた開口部より、窓ガラスの全容が確認できる。南側に位置する庭へは、2階の各部屋からは直接アクセスする事が出来、室内と外部空間を密接に繋いでいる。この広々とした庭は、春にはバラが香りを放ち、冬にはツバキが赤く染まる。この住宅からは、施主の意向に寄り添い、住む人の生活に焦点を置いて住宅設計を貫いてきた浜口の前衛的でかつ優しい視点が伺える。同時に、浜口の洗練された建築を証明するものであり、そのデザイン性の高さは、住宅作品として、また歴史的建造物としても非常に価値がある。

ノエミ・ゴメス・ロボ(博士(学術))
上田佳奈(建築家)
(寄稿:2021年5月10日)

写真:ディエゴ・マルティン・サンチェス