所在: | 東京都武蔵野市 |
竣工: | 1924年(大正13年) |
構造: | 木造枠組壁構造 |
延床面積: | 現況 166.21㎡(50.37坪) 98.58㎡(1階) 67.63㎡(2階) |
敷地面積: | 514.25㎡(155.56坪) |
竣工時の用途: | 学生寮 |
本邸ROCHESTERは、大正末期、成蹊学園によってアメリカから輸入・建設された初期ツーバイフォー構法による組立式規格住宅である。
1924(大正13)年、職員住宅や学生寮として複数棟の組立式規格住宅が完成したが、現在は1932(昭和7)年に濱家が購入した本邸1棟(当時の有定寮)が残るのみである。
戦前期におけるツーバイフォー建築の導入史において、現存するきわめて貴重な建物である。
当時の絵葉書より:
成蹊学園寄宿舎「有定寮」(現濱家住宅西洋館ROCHESTER)(左上)と「静専寮」(右下)
資料提供:成蹊学園史料館
購入者・濱富士氏の夫である濱徳太郎氏(※1)の手により、1952(昭和27)年~1953(昭和28)年頃を中心とする幾度かの増改築を経て、子息・濱素紀氏(※2)が、2013(平成25)年まで住居として使用した後、敷地の一部を武蔵野市の公園用地として提供することとなり、建物を濱家の敷地内に曳家する必要が生じた。その際に、老朽化した増築部分を撤去してオリジナルに近い状態に戻し、内外装および躯体の老朽部分を修復し、同時に新たに施工した基礎と構造補強によって耐震性を高め、現代的な設備への更新をおこなうなど、さらに数十年の使用に耐えるよう、総合的な修復がおこなわれた。
※1濱徳太郎(1901年-1975年)
美学者・大学教授・作曲家。東京帝国大学文学部卒。日本大学、昭和女子大、武蔵野美術大学などで教鞭をふるう。日本クラシックカークラブ(CCCJ)会長。
※2濱素紀(1927年-2022年)
工業デザイナー。東京芸術大学美術学部卒。日本で最初にFRPの成形法をマスターし、自宅に濱研究室を設立。名古屋芸術大学、東洋大学などで、教鞭をふるう。
★以下2014年(平成26年)の『濱家住宅西洋館修復工事報告書』(株式会社ファブリカ・アルティス一級建築士事務所)より抜粋・引用。
〈ROCHESTER〉の構法には、現在日本のツーバイフォー(2×4)枠組壁構法とは異なる構法や材料等が見られる。いわゆるプラットフォームフレーム構法と称される、現在のツーバイフォー(2×4)枠組壁構法の前身となる構法であると考えられる。
・スタッド、筋交いについて
軸組スタッドや床根太材にはプレーナー加工および面取りが施されていない挽き材が用いられている。現代のツーバイフォー枠組壁構法においては、挽いた後に生じたねじれ等の変形を除去し、材断面寸法の定格化を図る、現場作業時にささくれ等による怪我の防止等の理由でプレーナー加工の施された材を用いることが一般であることから、その前身となるいわゆるプラットフォームフレーム構法と呼んでよいものであろうと考えられる。
また、軸組の各部において確認された筋交いについては、材幅が一定していないこと、仕口の作り方が「日本的である」(私たちもこのような仕口で納める、との工事にあたった大工の所見あり)こと、等の理由により、〈ROCHESTER〉オリジナルの仕様でない様に感じられたが、その直接的な確証は得られていない。
増築部分の解体工事や各種工事に際して露出した構造部材の中に、“ROCHESTER”および”三菱マーク(スリーダイヤ)“、他のスタンプの押されているものが発見された。
三菱グループの沿革によれば、幕末期に端を発する三菱グループは「三菱商会」→「三菱社」→「三菱合資会社」と名称を替えた後に、大正初期に各種専門業種別に分社化を図ったが、その一つである「三菱商事」の設立が1918(大正7)年である。成蹊学園の池袋から現在の吉祥寺へ移転した1924(大正13)年に竣工した〈ROCHESTER〉の輸入や建設に三菱グループが関わっていたであろうことは、成蹊学園と三菱グループとの関係からある程度予想されていたが、今回”三菱マーク(スリーダイヤ)“スタンプが発見されたことで、このことは確定的となり、また、その具体的な実働組織が分社間まもない時期の「三菱商事」であったことも確からしいと思われる。
これらのことにより、従来漠然と「成蹊学園によって輸入、建設された」と考えられてきた〈ROCHESTER〉の来歴が、少なくとも「三菱商事によって輸入され、成蹊学園に寄贈または売却された」ことは確実であるのみならず、「三菱商事によって輸入され、三菱グループによって建設され、成蹊学園に寄贈または売却された」、すなわち三菱グループが輸入から施工までを一貫して請け負うデベロッパーとして機能していた可能性も指摘しうるかもしれない。
そもそも〈ROCHESTER〉の建っている成蹊学園の西に広がる現在の住宅地の一帯は、三菱グループによって住宅開発がなされたという経緯があり、成蹊学園の施設である〈ROCHESTER〉を、学園キャンパスの外に建設することにより、郊外の広大な住宅地における新しいアメリカ式のライフスタイルを提示するという、ある種の不動産開発デベロッパー的な意識を持って一連のプロジェクトに関わっていたとしても何ら不思議はないと思われる。
事実、今回新たに所有者の手元から発見された土地、建物の売買に関する「念書」「領収証」(2通)によると、濱富士(濱素紀の実母)を買受人として、建物売渡人として成蹊学園の名前と共に、土地売渡人として当時三菱合資会社常務理事であった青木菊雄という個人名が記載されている。これは売買された土地が、青木菊雄という個人の所有であったことを意味するのか、所有は三菱グループでありその代表者として三菱合資会社常務理事の名義が用いられたものであるのか、については、当時の商習慣について不案内であるため断定はできないものの、〈ROCHESTER〉の輸入や建設に関してのみならず、土地の売買においても三菱グループの関与があったことが読み取れる。
これらのことから三菱グループとしてはむしろ、明治末にはじまる関西における阪急電鉄による住宅地開発や、渋沢栄一による田園調布の開発(1923(大正12)年分譲開始)、等の住宅地開発と同じ文脈で語られるべきプロジェクトであったかもしれないが、現段階においてこれを確認するだけの知見は持ち合わせていない。
ちなみに土地受渡人として記載されている青木菊雄という人物は、〈ROCHESTER〉竣工の前年(1923(大正12)年)に発災した関東大震災の際には、箱根において被災した社長岩崎小彌太に代わり、岩崎小彌太名義で日本国政府に500万円(現代の物価水準に換算して130億円相当)の寄付を申し出た人物であり、このことから、三菱グループ内部においても、対外的にも、また岩崎小彌太個人に対しても、相当の信頼を受けていた人物であったことが伺える。
成蹊学園/航空写真(1932年)
資料提供:成蹊学園史料館
↓は、現濱家住宅西洋館ROCHESER
玄田悠大(都市・建築史家)
日本において、1910年代から1920年代は、バンガロー式住宅に代表される米国製の組立住宅が輸入され、流行した時代であった*1。その1927年に三菱合資会社により無償貸与された洋式木造家屋を使用した成蹊学園の学生寮2棟*2、つまり、図面に「ROCHESTER」と記載されている有定寮(現濱家住宅西洋館)と「LAMBERTON」と記載されている操要寮は、ミシガン州ベイシティの組立住宅メーカー「Aladdin Company」が販売元である可能性が高い。同社は1906年に創業し、1981年まで住宅を製造。7万5千戸以上の住宅を販売した。
同社の1910年代の組立住宅カタログに両建物は掲載されている。1919年秋のカタログ*3には、「ROCHESTERは、シンプルで力強い、まさに米国的なデザインである。保守的なラインは、威厳と個性を表現し、このデザインはその代表的なものである」、「LAMBERTONは、正真正銘の米国家屋である。そのラインは米国的であり、直線的で、シンプルで、重厚である」と書かれ、デザインにおける米国らしさが強調されている。さらにROCHESTERの具体的な特徴として、重厚さと力強さを表す正方形の形状、軒先・明かり取り・ポーチの屋根に施された垂木の巻きという芸術的なタッチ、豊かな光をもたらす2枚1組の窓、便利かつ快適で家事の負担も少ないインテリア等を挙げている。ROCHESTERは、1911年春にミネソタ州北部で最初に建設され、それ以来、全米のほぼ全ての州で何度も建設され、ある州ではカタログ発行時点で19棟が建っていたとのこと。人気物件であったようである。
このように、有定寮から濱家住宅西洋館へと役割と持ち主を変えつつ現存するROCHESTERは、昭和初期の地域に米国文化を伝えた、当時の文化伝搬の一端を今に伝える建物である。
*1: 内田青蔵, 篠野志郎: わが国近代独立住宅の変遷過程における米国住宅の影響について, 住宅総合研究財団研究年報, 23巻, pp.167-176, 1997
*2: 成蹊学園: 成蹊学園百年史, 成蹊学園, 2015, p.536
*3: The Aladdin Company: ALADDIN HOMES "Built in a Day" Catalog No. 32, The Aladdin Company, 1919 fall