所在: | 京都市左京区 |
竣工: | 1926年 |
構造: | 木造2階建 |
設計: | 藤井厚二 |
施工: | 酒徳金之助 |
延床面積: | 225.75㎡ (約68.28坪) |
敷地面積: | 929.07㎡(約281.04坪) |
竣工時の用途 : | 住宅 |
京都・北白川に現存する藤井が大学の同僚だった喜多源逸氏のために設計した邸宅。およそ300坪の敷地に建つ木造瓦葺き2階建ての住宅。施工は聴竹居や八木市造邸と同じ大工の酒徳金之助。1926年・大正15年の竣工。1階の茶の間、納戸は改造され、北側奥の台所・水廻り・女中室は建替えられているが、主な部分は竣工当時のまま残されている。
藤井厚二が設計した邸宅のなかで京都市内に現存する数少ないもののひとつであり、一部改造されてはいるものの保存状態は極めて良好で、藤井の「日本の住宅」にこめた想いを現在に伝える貴重な歴史的・文化的資産といえる。
明治生まれで昭和にかけて活躍した工業化学の研究者 ノーベル化学賞を受賞した福井謙一教授の先生にあたる。東京帝国大学の助教授を経て,大正11年京都帝国大学教授となり,昭和5年京都大学化学研究所長。23年浪速大学(現大阪府立大学)初代学長。燃料,人造繊維,合成ゴムなどの研究で知られ,日本化学会会長をつとめた。奈良県出身。著作に「油脂化学及試験法」など。奥様はバイオリニスト。
1888(明治21)年、藤井厚二は現在の広島県福山市の素封家(造り酒屋)の次男として生まれている。1913(大正2)年、東京帝国大学工学科建築学科を卒業、当時設計技術の近代化を急いでいた竹中工務店に設計を担当する最初の帝大卒の社員として入社し、「大阪朝日新聞社社屋」と「大阪朝日新聞社 社主 村山龍平邸・和館」などを担当。新聞社側の顧問を務めていた関西の雄、建築家・武田五一と出会い、1920(大正8)年、藤井は武田が創設した京都帝国大学工学部建築学科に講師として招かれ、日本の伝統的な住まいで経験的に行われてきた日本の気候風土にあわせる建築方法を科学的な目で捉えなおしていった。さらに、自ら着目し理論化した環境工学の知見を設計に盛り込み、大山崎町の約1万2千坪の土地(山林)に居住、実証、改善を加えながら自邸を実験的に次々と建てていった。「真に日本の気候・風土にあった日本人の身体に適した住宅」を生涯追い求めた藤井が、その完成形とした第5回住宅「聴竹居」が現在も京都府大山崎町に現存、2013年6月天皇皇后両陛下が行幸啓され注目を集めた。