所在: | 東京都世田谷区 |
竣工: | 昭和34年(1959年) |
構造: | 木造2階建 |
設計: | 白井晟一 |
施工: | 直営、一部岡野工務店 |
敷地面積: | 184.74㎡(55.88坪) ※実測による |
床面積: | 1階 53.99㎡(16.33坪) 2階 18.18㎡(5.50坪) |
竣工時の用途 : | 住宅 |
この建物は、1959年にアーティストである増田義祐・欣子夫妻の為に、54歳の白井晟一が設計した住宅である。「増田夫妻のアトリエ」という名で発表され、白井晟一の住宅作品の中でも特筆すべき建物である。
寡作の建築家である白井晟一が残した建築は70余り、その中で現在も残っているのはその半分、住宅は更にその半分となっている。
増田夫妻はこの家を建設当時からとても大切にし、最後まで丁寧にオリジナルを守ってきた。
私がご夫妻を初めて訪ねたのは10年前、その際「あなたのお祖父さんに、こんな素敵な家を設計して下さってありがとうと、毎日手を合わせているのよ。」とうれしそうに話して下さった。
この家を残し、新たな住まい手を探すことに手を上げて下さったのがエスジーマックス社の秋田氏であった。「壊して、新築して売れば良いでしょう」というのが、残念ながら今の日本では規定路線である中、そんな状況を憂い、再生させることにこそ意義があると賛同して下さった。
時を経て存在してきたものに慈しみをもって手入れをし、更に価値を付加するような土壌を日本でも醸成していく必要がある。そんな事を共有し、かくして設計者、住まい手が何を大切にしてきたかを汲み取った上で、その家の魂を残した改修を行い、新たな住まい手を探すことになる。
白井晟一はあまり所有者の名前を作品につけることはなかったが、この家には「増田夫妻のアトリエ」と名付けた。きっとチャーミングで仲の良いご夫妻に惹かれてのことではないかと思う。一方で芸術家のアトリエ兼住宅のいくつかにNoを付けて発表した。アトリエNo.5、No.6。「増田夫妻のアトリエ」はNoを付けるとすれば7番目となる。
新たなフェーズを迎えるこの建物に「アトリエNo.7」と名付けた。
白井晟一建築研究所(アトリエNo.5)
白井原太
※「増田夫妻のアトリエ」は、白井晟一の令孫である建築家・白井原太氏の改修設計により、2021年に「アトリエNo.7」として再生した。
photo:白井原太
工房吹抜の天井は、あまり建材では使用されない蒲ゴザと、こげ茶の化粧梁で構成され、空間を引き締めている。蒲ゴザは1950年代の白井晟一の住宅作品で多く使われている
photo:白井原太
工房吹抜部の北面上部には大きな開口があり、柔らかな光を室内に届ける
photo:白井原太
「増田夫妻のアトリエは、大壁構造で、外壁に付け柱をつけているが、軸組の表現というよりは、破風板とともに、縁どりすることによって、壁を強調するものになっている。その見付や開口のバランスは見事で、白いモルタルを粗く仕上げた壁や煙突の素朴感を印象深いものにしている。単純な構成によってまとめあげた、質朴で可憐なこのアトリエに、西欧の壁に挑戦する白井晟一の気迫がこめられていると感じるのは、私だけではないであろう。」
(川添昇「こころのすまい」『白井晟一 建築とその世界』(世界文化社)より)