所在: | 岩手県盛岡市 |
竣工: | 江戸時代後期(推定) |
設計者: | 不明 |
構造: | 木造平屋、屋根瓦葺一部鉄板板葺、 壁漆喰塗(柱顕し) |
延床面積: | 88 ㎡(27 坪) |
敷地面積: | 2265.20 ㎡(約686 坪) |
竣工時の用途: | 茶室 |
*敷地内には、上記茶室以外に下記の建物を有する。
・旧母屋(老梅院と同棟):136㎡(41坪)
・土蔵:41㎡(12坪)
・現母屋(1993年解体新築):1F 133㎡(40坪)・2F 91㎡(27坪)
現在盛岡市内で一番古く且つ由緒ある庭園や茶室をもつ老梅園は、今から約260 年前の享保7 年(1722)、南部第三十二代利幹が、当時、南部家菩提所聖寿寺九世逸彦米祖和尚が隠退した際、隠居所として贈ったものである。
庭園は蓬莱造りで、滝壺や池辺に鶴石や亀石を配し、広さ約800 坪。(註1)
茶室は「残月席」と言い、約100 坪、むかし宗易(千利休)が秀吉のため、聚楽第に造った茶室を模したもので、書院造りの広間の茶室には、2 畳敷の床の間のあるのが特色。享保14 年(1729)酉年の大火で、西隣りの大慈寺とともに焼失したとの記録もあるが、いつ復元されたのかは不明である。
玄関3 畳の間には、もと盛岡城内にあった(※南部藩由来)という川口月嶺の二枚の猪の襖絵が異彩を放っている。
維新後、野辺地出身の加野屋庄兵衛の手に入って別荘となり、一時、八幡の日野家が借りて料亭にしたこともある。その後昭和初期、裏千家淡交会岩手県支部長山口宗樹の所有に移り、戦時中は岩手女子師範の寮に供されたが、現在は山口家の住居となっている。
庭園は、昭和47 年11 月25 日、市の保護庭園に指定されている。
(註1)その後の実測により、現状敷地面積は、2265.20 ㎡(約686 坪)である。
老梅院茶室および庭園は、大慈寺町の寺の下寺院群のうち、名刹大慈寺と永泉寺との間に位置している。南大通りの方から大慈寺の長い塀にそって来ると、眼前が開けて右側に大慈寺小学校の校庭がある。この校庭と道路をはさんで向かい合わせに、大慈寺の塀が終わったところに老梅院の入口がある。この開口部の幅は1 間程で狭く、また大谷石の長い塀が続いており、この塀の内側が老梅院である。茶室は庭園内の高台に建っているが、奥まったところであることと、庭園内に樹木が茂っているために、道路から茶室の白壁が樹間に見えるけれども、注意しないと気づかず、道路から老梅院の景観として意識されるのは、南面の大谷石の塀、東面の石垣と竹垣、堀内の樹木である。これらの塀、垣、樹木等は、大慈寺や永泉寺の堀や境内の亭々たる樹木とともに閑静で壮厳な環境を構成している。
老梅院の入口は、植栽をもつゆるやかな石段となっており、途中に花崗岩の門があり、これを通って、さらに少し登ると右側に書院造り茶室の玄関がある。その少し手前やはり右側に竹垣の切れた入口があり、ここから庭園に入る。庭園は傾斜地形を巧みに利用した沈床式庭園で南側が低く、北側の小高い所に茶室が建っている。左側が小間茶室で、これに鍵の手に続いて正面に書院造り茶室がある。
小間茶室は、内部はわずか3 畳という狭さで、軒高も低く、ごく小さな建物であるが、母屋、棰、野地板も竹が用いられており、南側に蔀戸、にじり口があり、いかにも茶室らしい。
書院造り茶室は、南側は切妻で軒高も高く大きな建物で、すべて白壁である。高床式の建物であるが床下の部分も空間ではなく白壁になっている。また開口部が全面ガラス戸であり、すぐ裏に紙貼り障子戸が入っているので、やはり白である。つまり建物の壁面全部が白であって美しい。一部に濡れ縁がついており正面から小間茶室のにじり口まで飛び石が続いている。書院造り茶室と小間茶室の接続部の前あたりに、文字通りの老梅木がある。さらに、大きな木や石造の手水鉢などがあり、明るいなかに静閑な茶室らしい景観となっている。
茶室は、書院造りの茶室と小間茶室の二つから構成されている。外観は、小間茶室は妻、軒を見れば茶室とわかる構想で、母屋、棰は竹で造られ、野地板に相当するところは細竹を敷きならべてあるが、屋根材は現在は鉄板一文字葺きで修理され、以前、何材料で仕上げたかさだかではない。この小間茶室は、書院造りの茶室より遅く建てられたものというが、外部壁、建具は相当いたんでいる。
書院には深い軒庇がついて、その屋根は化粧棰、木小舞化粧板の顕しで、腐朽もなく、よごれもなく、小間茶室より新しく見える。書院本屋とは、造りの時期がずれている気がする。広縁前には一部濡れ縁があり、その前に手水鉢石がある。外観として小間茶室の方に魅力がある。
大慈寺前を通り、御影石の門を入ると先代山口宗樹氏作のつまさき上りの前庭を通り玄関に達する。玄関は4.5 畳の大きさで、先代が物置であったのを、これは玄関であったに違いないと改修されたときく。明らかに本家と比べ新しい。
式台から3 畳の間に上ると引違いの猪の絵が画かれた板襖があるが、南部家から頂戴したものと云う。ここを開くと書院の広縁(幅1 間)に続く。庭園に面する側に硝子戸と紙貼り障子の二重建具がある。古くは硝子戸でなく木格子であったらしい。
書院造りの茶室は8 畳で、外にその東側に2 畳の床の間と2 畳の付室があり、紙貼り障子の窓と付書院(地袋、欄間付)がある。
その昔、千利休が秀吉のために作った聚楽第の残月亭を模したものと云う。西側の隣室は4 畳で水屋に使用するという。共に天井は杉材の竿縁天井で、壁は砂壁であるが一部紙貼りにした処がある。付書院前の2 畳敷きの上部天井だけは勾配天井である。
玄関の3 畳に入って右側の襖をあけると小間茶室の廊下に出る。廊下の一隅に水屋がある。その裏側は物置となっている。廊下天井は舟底天井、壁は漆喰塗りである。廊下の突当りの襖をあけると、4 畳の次の間(通い口、勝手口でもあり、客の待合室でもある。)に入る。天袋、地袋、棚をそなえた茶道具入れが入り込みになっている。
片引き襖(茶道口)をあけると、3 畳の空間をもつ茶室となる。茶室としては2 畳で床の間があり、茶道口に近く1 畳の点前座となり、茶室境に小壁が下って、建具(引違い)のみぞと半間のみぞなし出入口がある。共に内法、高さ低く、普通立ち振舞い危険である。腰をかがめなければならない。点前座の天井は竿縁で板材は桐であり、2 畳の間の天井は同様であるが、天井板は杉である。2 畳の間に南面してにじり口があり、その上に蔀戸が設けられている。
『歴史的建造物調査報告書:総集編18.老梅院茶室』
(昭和54 年:盛岡市市民生活部環境保全課)より抜粋
資料提供:盛岡市環境部環境企画課
雪解け一番に顔を出す福寿草。
満開が重なる梅と桜。
次々と芽生える緑にいろいろの鳥が集う新緑のころ。
緑陰に映えるノウゼンカズラのオレンジ。
秋風にゆっくりなびく紅白の萩。
赤黄に染まる紅葉の季節。
多彩な白が楽しめる雪の庭、茶室ガラスに結晶する雪華。
そんな老梅園と老梅院は、
茶道に熱心に取り組んだ祖父が譲り受け、
以後、父母そして私たちと
祖父の「地域からのお預りもの」という想いとともに当所を引き継いで参りました。
しかしながらこれから先については「他の方に」と考え
住宅遺産トラストさんにご相談したところ
有難いことにこの度ご協力いただけることになった次第です。
当所は市の中心から徒歩圏内にありますが、
寺や町家など藩政時代の風情がのこる市指定の景観地区に在ることから、
周囲も含め閑静な環境下にあります。
少しひずみのある茶室の古ガラス越しに
季が移ろう様を眺めながら
不便を感じず静かな環境で生活させてもらっていることは
よく考えますととても有難いことだと思います。
そのような老梅園そして老梅院を含む園内の建物が
新たなご縁に恵まれますよう切に祈りつつ以上ご挨拶いたします。