所在: | 神奈川県三浦郡葉山町 |
竣工: | 1928年 |
構造: | 木造(一部RC造) 地下1階 地上2階建 |
設計: | 遠藤新 |
延床面積: | 364.38㎡(約110.22)坪 |
敷地面積: | 1,129.52㎡(約341.67)坪 |
竣工時の用途: | 別荘 |
建築家・遠藤新が設計した葉山の「加地邸」は、東京・白金三光町の「加地本邸」(1931年・昭和6年竣工)に先立つこと3年、1928年(昭和3年)に建てられた別邸です。
現存する遠藤の住宅作品の中でも最も貴重な住宅とされています。
遠藤新は、フランク・ロイド・ライト(1867―1959)が「東京帝国ホテル」建設(1923年・大正12年竣工)のため来日した折、1917年にスタッフとして関わり、竣工に至るまで主要な役割を果たします。その後も「自由学園明日館」(1922-26年大正11-15年竣工/ライトは1922年夏に米国へ帰国)、「旧山邑家住宅(現淀川製鋼所迎賓館)」(1924年・大正13年竣工)など、ライトが日本において設計にかかわった建築のすべてにおいて、設計から竣工までを実質的に支えました。
(遠藤新 写真) 写真提供:井上祐一 |
「加地邸」は、1889年生まれの遠藤新が39歳の時、1928年に竣工しています。「自由学園明日館」に続き、自ら設計した「自由学園目白講堂」(1927年・昭和2年)、「山邑邸」(ライト基本設計)、甲子園ホテル(1930年・昭和5年/現武庫川女子大学甲子園会館)など、遠藤が質の高い建築を多数設計した充実期の作品で、遠藤が「全一」と考えた、建築から家具、照明器具にいたる総合性を実現したきわめて密度の高い住宅作品です。
加地邸が位置するこの葉山は、快適な気候と豊かな自然に惠まれ、明治の頃から東京の別荘地、保養地として成立し、近くにある御用邸をはじめ、政財界、文化人の素晴らしい邸宅がつくられてきました。これらの建築の存在と記憶は、葉山・逗子・鎌倉・鵠沼という湘南エリアが別荘地として開発され、新たな景観がつくり出された当時の様子を想い起こさせます。
近年、開発が進み、多くの重要で良質な別荘建築や景観が喪失しています。建築や風景が継承され、時間や空間をたどれることの重要さを思い、「加地邸」が今後もこの地で長く生き続けていくために、所有者、地域コミュニティ、専門家で保存の会を組織して活動をしています。
加地邸の建て主は加地利夫である。加地利夫(1870-1956)は、東京高等商業学校を卒業後、大阪市立商業学校教諭となったが、後に三井物産に入社。1918年(大正7年)にロンドン支店長となり、重役、監査役を歴任、また、大正海上火災保険の重役を務めた。先に竣工した葉山の家に次いで、白金の家を同じ建築家の遠藤新の設計により建てた。
利夫の次男の信(1908―1998)によれば、利夫の妻の壽は、建築に興味があったと見えて、遠藤と打ち合わせしながら設計の変更をしていったという。そして、変更に伴い建築費も当初予算の二倍に達したというのである。また、大谷石などの運搬には近隣の人たちが率先して協力し、道路から敷地まで担ぎ上げた。完成後の家に近隣の人たちをたびたび招いて親交を深めていたという。
(井上祐一 展覧会冊子「加地邸をひらく:継承をめざして」より)